【Editors’ Lounge】30年後を見据えて仕事を選んでられへんな!(シンギュラリティと編集)
今日はEditors' Loungeに出席してきました!
Editors' Loungeとは?
「Editors' Lounge」は、みなさんと一緒に「編集」の本質を探求し、その潜在的な可能性を模索し、その知見を共有/議論していく開かれた場です。メインテーマである「編集」はもとより、隣接問題である「メディア」「情報」「デザイン」「コミュニケーション」といった問題を共に考えていきましょう。そして、この「Editors' Lounge」が編集にまつわる新しいムーブメントとなり、大きなコミュニティーとなることを目指していきたいと思います。
自分は今回の参加で2回目。 前回もすごく楽しめましたが、今回は(あまりこの表現を好みませんが)神回でした...!
特に面白かったのが「シンギュラリティ」トークセッション
トークセッションでは「シンギュラリティまでのラスト・ユートピア」と題して、人工知能を中心としたまったく新しいテクノロジーの時代の到来と、そうした時代における「編集」の可能性について多様なディスカッションを展開していきたい思います。
「シンギュラリティ」、またの名を「技術的特異点」。
最近IT分野で頻出している、人口知能(AI)だとか機械学習、ディープラーニングやなんやと言ったキーワードが関連しています。
出典がwikipediaで恐れ入りますが...
この概念は、数学者ヴァーナー・ヴィンジと発明者でフューチャリストのレイ・カーツワイルにより初めて提示された。彼らは、意識を解放することで人類の科学技術の進展が生物学的限界を超えて加速すると予言した。
ターミネーター、攻殻機動隊、マイノリティリポートとか、まさにSFの世界。
3月に公開される『Automata』もまさにそのお話。
このシンギュラリティは2045年に起こると予見されているそうです。あと30年!
トークセッションでは主にAIとロボットが出てくる未来のお話でした。
具体的には、自律学習システムを使った事故を起こさない車やドローンだったり、エンタメを評価するAIだったり、健常者の能力を超えるかもしれないメカ義肢だったり、どれも実用化まではそこまで遠くないようです。
人が行っていた能力の代替となり、それ以上の力を発揮してくれるようになるわけですね。
そこで一つ考えられるのが、将来人間が行う仕事は機械によって代替されてしまうのか?ということ。
東洋経済とかで「20年後に無くなるお仕事100」みたいな記事もよく見られると思うんですが、もう既にアメリカではAIが弁護士に業務を与え、評価し、リストラ対象者を選定していくことが実際に行われており、マジかよそんな上級知的労働者ですら首切りに怯えなきゃいけない時代なのかよ...と恐ろしくなりました。
イベントの講師の方々が発した言葉で印象的だったものがいくつかあります。
「もう自分の好みなんてAIにすぐ見破られてしまう時代が目の前まで来ている。それだけ正確なアルゴリズムが機能する社会がやってくるんだから、"人間力を大事にします"なんて言ってる会社は危ないよ」
これ!自分はマーケティングが主なお仕事なので、テクノロジーも当然注目をしているんですが、自分が想像しているよりも機械は人間に近づき、それ以上の存在にまで達するようですね。日本人が好む「職人の技、手触り」のようなものも機械で表現されるレベルまで絶対来ちゃうよね、だとしたら今の仕事をよく分からない人間力だけで継続していくのはリスキーだね、とのことでした。
あともう一つ。
「人間しかできないことは消費。AIなどがこれから生産を行っていくのであれば、人間から生産を取ってしまったらどうなるんだろねえ。マルクスに聞いてみたいねえ、"余剰価値とか何も無くなりますけどどうしましょう?"」
機械がなんでもやってくれるわけですから、余暇が増えるわけですね。働かなくていい!有閃階級の貴族だわっしょい!
で、もちろんそこから派生して、労働が余暇となるという価値観の逆転がやってくる!という話になりました。
まあ、それでもエンタメを楽しんで消費することができるのは人間だけであって、娯楽を作る仕事は多分残るだろう、とのこと。血筋で受け継がれていく職業(歌舞伎など)は大丈夫じゃないかなー、ということも言っていました。
これだけ歴史や知見という情報が、爆発的にネットに溢れていて取捨選択が難しく、タダでさえ人生のネタバレ感あるのに酷なこと言うなあwちょうど転職活動真っ只中なので、なんだよこれ以上悩ませないでよー...
編集と人間
興味深いのが、この考えの元として、(またwikipediaで申し訳ないんですが)1800年代の「編集者」がチラッと言及してたらしいのですね。
1847年、Primitive Expounder の編集者である R. Thornton は、当時、四則演算可能な機械式計算機が発明されたことに因んで、冗談半分に次のように書いている
… そのような機械を使えば、学者は精神を酷使することなくただクランクを回すだけで問題の答を捻り出せてしまう訳で、これが学校にでも持ち込まれたなら、それこそ計算不能なほどの弊害を齎すでしょう。いわんや、そのような機械がおおいに発展し、自らの欠陥を正す方策を思いつくこともないまま、人智の理解を超えた概念を捻り出すようになったとしたら!
Thornton, Richard (1847), The Expounder of Primitive Christianity, 4, Ann Arbor, Michigan, p. 281
このEditors' Loungeはその名の通り、編集者の集いとなるわけで、話は編集が軸となります。*このイベントでは編集という言葉は、情報・コミュニケーション・デザイン・メディアという多様な要素を含んでいます。自分は「情報編纂」という意味でとらえてましたが。
結局このトークセッション内では「シンギュラリティ以降は人はどうすべき?」に対する答えは出なかったのですが、講師の方のこの問いには身震いしました。
「人間は、今後どういう編集を行っていき、人間たりうるのか?」
この回答を見つけて、人間が人間たりうる編集ができた時に初めて、機械に取って代わられることのない、貴重な職業を得られているということになるのかもしれませんね。
機械が生み出すもの全てが人を超えているものばかりになる中で、人にしかできない編集を行うことでようやく人間の存在に意義を見出せるのでしょうか。人間という名のブランドアイデンティティの模索とセルフブランディングを行う編集とは..
はーむずかしい!!