ふくろくん

コンテンツマーケティング、音楽、立ち話、そして牛乳

もう少しだけ感覚的に生きたくて

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インターネッソ君

だいたいスターウォーズの話です。  

ちょっと前の話になりますが、いのっちさん(id:ino_null)のことばのちから - 銀塩日和読んだもので、↓のようなブコメを残していました。

ちょうど自分が全く逆のことを書こうとしてたので面白い!ことばと感覚で抽象化と具体化を反復させるのがLIFEなのかしら/(命名神マリナン…ボソッ) 

記事の内容ですが、本文中の要約によると

結論から言うと、僕に火をつけるのは「他人(外界)からの刺激」で、僕の調子を整える、僕を機能させるのは「ことば」であるということを感じたよという話。

とのこと。

しっくりと共感しながらも、実は、恥ずかしながら今まさに正反対の動機から行動を起こそうとしている自分がいます。

 

 

 

...とは言っているものの、ブログを始めてからは「ことばの重要性」をしかと認識して、自分にとってベストな感覚をことばにする方法を捉えようとトライし続けているのですが、いつもするりと手からすり抜けてしまって、うまくいきませんでした。

だから時折、音楽や写真など他の手段に頼ることがあります。捉えた気持ちを表現するための適切な媒体をその時々で手軽に選ぶことができるなんて、技術進歩から得られるたくさんの伝達手段に囲まれて、忙しなく生きている我々現代人にとっては大変ありがたくて悩ましい時代になったものです。

そう、けっこう悩ましいのです。自分の場合は、自分の感情や思い=情報を、どのフォーマット(画像、音、文章、動画など)で具現化するかを都度選ぶことに手間をかけ、よく頭を熱くしています。

画像や音であれば、それこそ残ったご飯粒を箸でつまんで口に運ぶようにすんすんとできるのですが、ことばというフォーマットを使う時だけそうもいかない。

すり抜けそうな感覚を捕まえて、ことばに起して、ことばが読み手(自分を含む)の特定の感情や行動を促していく......まるで魔法のような超絶技巧ですね。

感覚→ことば→感覚の流れで、あらためてロジカルに整理もできるし、切り口を変えることで新たに心を響かせることもできる。そんな編集力というのが、文章を書くプロセスに含まれていて、質量とスピードを上げるには相当な練習量が必要だ、というのがこれまで自分でブログをちまちま書いてみて得られた実感です。

【編集者のおへそ】前編:一田憲子さんに、企画や文章のことを聞いてみよう。 – 北欧雑貨と北欧食器の通販サイト | 北欧、暮らしの道具店

"多分に、感覚を言葉にするっていう作業なんですよ。読者がより深く共感してくれるのは、文章で理論的に説明されるよりも、気持ちに“すこん”と降りてきたとき。だから、その感覚を探しています。"

2015/10/30 19:13

多かれ少なかれ人は、感覚の再解釈や再構築によって次に進む決断をするための材料を見出しているのかなって思います。

その材料探しは、ことばというフォーマットだけでなく、感覚を捉えた後に細かく、深く感じることに留めて再構築の手間を省き、決断コストの負担を抑え、スピーディに物事を進めていく、というのが今自分が信じようとしていること/やろうとしていることです。

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You must feel the Force around you; here, between you, me, the tree, the rock, everywhere, yes. Even between the land and the ship.

Sutâ wôzu episoddo 5: Teikoku no gyakushû (1980) - Quotes - IMDb

単純に第6感だったり、経験則に従う勘だったりを元に、湧き上がる感情を分析している暇なんて惜しいから、そして自分が自分の感覚を信じられるから、というのもあるんですけど、ただ抽象的な理由で突き進んで得られるものこそが、これまで石橋を叩き続けて進めなかった自分が得ようとしていたものではないかと期待しています。ただ、いのっちさんの場合は、石橋を作るためのことばを必要としているのでは、と偉そうに勘繰っています。

今の自分は、楽天的猪突猛進を盲信しており、針穴に向かってホップ・ステップ・ワープが自分なりの脱皮のようです。 

抽象化は単純化でもあり、それは時間の短縮につながり、細かい情報を認識することに時間をかけない分、行き先にたどり着いた瞬間に「はて、ずいぶん遠いところまで来たもんだ......」といつのまにやら目的を達成していることもあるかもしれない。(かもしれない...)

youtu.be

いやいや、そのワープも一瞬でたどり着くつもりでいないと失敗してしまうかも。

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で、もしワープの途中で様々な足止めを食らうとしても、それはあくまで感覚を研ぎ澄ませてワープを実行した後の話になるのではないかと思うのです。

感覚を研ぎ澄ます、これができて初めてワープができる。(これってつまり「フォース」なんじゃないかと思います。)

感覚を鍛えた後でどのように踊り回ってステップを踏んでいくか、自分が足を伸ばした先でどこに爪先を着地させるのか、フォースを使ってコントロールできるようになれば、ワープなんて難しくないんじゃないか、そんな超人思想が今の自分が変わるために必要だと感じています。


Luke's Lightsaber Training - YouTube

言語化と感覚化、両者は螺旋状に絡み合って収縮をおこなうだけです。その収縮周期もバイオリズムのように個人差があるだろうし、アプローチの仕方も様々。

それでも、ことばと感覚、どちらが先にいつどこで浮かんでくるかはわからないので、いつもポケットに忍ばせている紙とペンだけは欠かしません。体や気持ちを動かし続けて、大事な瞬間にフィットしたことばが頭に浮かんだ時に出てきたものは逃してはならないセレンディピティーだと思います。

ことばと感覚、どちらに比重をおいて日々を 過ごしていくか、それだけのことなんですけど、自分にとっては大きなテーマだったようです。

どのぐらい続くかわからないけれど、今はせめて自分の感覚を研ぎ澄ませるために、自分が自分を信じられるように、もう少しだけ感覚的に生きてみたいのです。 

streamlines.hatenablog.jp

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カフェラテを頼んだあとに牛乳あることを教えられてアイスミルクにしました