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ふくろくん

コンテンツマーケティング、音楽、立ち話、そして牛乳

日記29

2016.12.31

今年は2015年の延長を生きた年だった。

2015年に始めたことを継続をする、をテーマに、小さいことを粛々と重ねてきた。付け焼き刃ではダメだとインプットを多くしてきた。
序盤と中盤で、転職と同棲をしたけど、代わりにコンテンツに関わる時間は減った。

ビジネスの中でのコンテンツの役割について、縁取りをするように眺めていることが多くなっていた。

インターネットが好きだったはずだったけど、今年はプラスの感情を得られていなかった気がする。業界の中でせっかく適正化が計られてつつあったのに、それらはマイナスからゼロに戻すものばかりで、自分のブクマを眺めると終始インターネットをいかに良くしていくかの議論ばかりだった。さらに虚しかったのは、終始つながり続けるクリエイターたちだった。

コンテンツの扱いに関しては、ようやくモラルの最低限の遵守へと動き始めた。一次取材、専門性に基づくオリジナリティが水準になろうとしてる。「検索からアクセスがあるんだから、シェアしてもらえるんだからニーズがあるのだしこれで良いだろう」のスタンスでコンテンツを作り続けているものの限界が垣間見えた。

脆いコンテンツを発信し続けた先に、読み手も変化が求められる。徐々に情報の摂取はメディアが発信したものではなく、頼りになる友人、知人、インフルエンサーがシェアしたものを味わっていれば良いという考えにシフトしつつあった。ポスト・トゥルース元年である2016年はそれを見事にひっくり返した。2017年では、「いかに情報や人を疑うか」についてもっと議論されても良いと思う。

それゆえ、シェアされるために、検索で見つけてもらうために、インフルエンサーとつながるために、お金を稼ぐためだけのコンテンツを提供する人々、彼らが何を作っているのかわからなくなってしまった。より断絶を感じた。いくらつながりが多く影響力があるからといって、信頼できる情報や純粋なエンターテイメントを供給していることにはならない。

生存戦略としてクランのように、トライブのようにコミュニティをいくつも持っているのはとても理にかなっている。しかしコミュニティ間のやりとりが可視化されると、自分は予想以上に引いてしまっていることを自覚した。

組織やつながりが、(インターネットでより)しがらみに感じられるようになってきた。

続きを書いていたけど、12時までにまとまらなそうなので、一旦ここまで。

2016年、お世話になりました。2017年もよろしくお願いします。

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