【シロキジ活動報告】血痰のような音楽をつくりたい
昨日は奥多摩は川苔山に行ってきました。下山が大変だったけど、やっぱり楽しい!
本来もう一つの「シロ記事」に書くべきなんですが、個人的なお話もあったりするのでこちらに書きます!
新メンバー順調に増えてます!!
以前ブログで紹介した時は4人だったのですが、今は7人になりました。
新たに増えた3人のうち2人ははてなの人。
楽器としては、新たにギター、ベース、ドラム、VJが組み込まれる事となりまして、
いやはや錚々たるメンバーです。
バンド内で、追加パートでストリングスやホーン系も入れたいね、と話していて、現在、知り合いのトロンボーン奏者を勧誘中です。
そんなこんなで当初の目的であった、「できる限りたくさんの人を集める≒チンドン屋になる」という点では狙い通り。
受け皿としての「シロキジ」
ばんばんとメンバーを増やしていって思うのですが、思ったより「昔は音楽が好きでやっていたけど、諦めてしまった」という方が結構多いんですよね。
過去に夢中になっていた好きなものを止めてしまうって寂しい話でもあるんですが、現実は好きなことばかりやっていれば良いというものではないですしね。自分も途中で音楽は諦めたので、その気持ちはすごくわかります。
みんな似たような意識を持ってはいるものの、各々が聴いてきた音楽のバックグラウンドはバラバラです。
そんな人達を一つのスタジオにポーンと放り投げて、0から音楽を組み立てていくって形にするってなると、かなり時間がかかってしまいます。皆さんお仕事もあったり、友人家族恋人など大事なコミュニティだってある。
「思いっきり音楽にかけられるほど時間もお金もないよ!」なんて人がほとんどだし、それが真っ当だと思います。ここ半年自分もバンド活動をしていってリソースの少なさ、工面の難しさは本当に実感しています。
その中での解決方法というのでしょうか、「個々人がシロキジ全体セッションで消化しきれない自分が本当にやりたい音楽」を探るスペース/受け皿として、シロキジというバンドが存在しているのがこのバンドの在り方になってきています。
いわゆる合コン会場、マッチングサイトのようにバンドの中で新たなバンドやユニット、プロジェクトが生まれてくればこれほど楽しいことはないなと思っていて。
先に書いたように、みんなの趣味嗜好はバラバラなのでシロキジ全体でセッションをした時サクッと合わせられるかというと現状かなり難しいのです。
「一人じゃできないけど、誰か一緒にやってくれるいないかな」ぐらいの気持ちで参加してくれると嬉しい、というのが本音です。
実際、最近はバンド内で2つほどスピンオフが出来ていて、ギター3本の弾き語り「3月はもなか」、ゴルジェを3人で行う「木綿タム」なんてかたちで新たに活動をしています。
スピンオフのひとつ、ゴルジェバンド「木綿タム」について
これははせさん、いのっちさんと自分を合わせた3人でゴルジェという音楽についての再解釈、再構築を行うようなプロジェクトです。
ゴルジェについては最近まで全然知らなかったのですが、はせさんに教えてもらってからはライブも一緒に観に行ったりして、徐々に身に沁みてきております。
その辺りはいのっちさんも同様でしょうか。
先日はせさんと共に行ったゴルジェイベントについて熱いレビューを書いてます。
ゴルジェとはなんぞや、魅力について知りたい方は下記を参照されたし。
で、本題なのですが、この「木綿タム」というスピンオフを始めた理由について書きたいというのが冒頭の“個人的なお話”であり、エントリータイトルのお話。
血痰のような音楽
いのっちさん、はせさん、ふくろくん、という3人で音楽をやるにあたって、自分が出したい音、作りたい音楽というのがあります。
それが「血痰」です。
あくまでイメージの話ですが、血痰のようにどす黒く、どろどろしていて、病気にかかったときなど本当にしんどい状態で人体から吐き出される…そんな音を目指してやってきたいのです。
なぜそれを木綿タムでやるかというと、ゴルジェという音楽を体現する人々の音を聴いていて、人には言えない、ネガティブと思われがちな暗い感情を感じ取ってしまうのですよね。
それって全く悪いものではなくて、たまにブロガーの方でも人の心を突くような悲しいノンフィクションストーリーや論理的な批判をする問題提起型の記事を書かれることがあると思うんですが、ゴルジェの曲の構造や音の使い方もそれに近いものだと感じています。
よくわからないけど畏怖を感じる感情を表す音楽が、(まだ自分の中で見出してはいないけど)自分にとっての「血痰のような音楽」だと思います。
自分は文章を書くのが向いていないのでなんとか音楽で表現できたらなと思う性質で、誰もが「なんなんだこの音楽は???」というような音を作ってみたい。捉えきれない感情を掴み取るための文章を書くと同じように、音楽で表現したい、むしろその方がしっくりくると思っています。
そのためには、たくさんの音に潜って手足を動かして、望んでいた音を捕まえて、手綱をつけて、自分でコントロールできねばですね!音の加工と操る技術に没頭!
そんなことを考えながら先日は珍しく人前で熱弁してしまいました。「大事なことはなかなか忘れない」とはせさんに言われましたが、お酒飲んで深夜だったこともあり不安だったので、書き残しておきました。どっこいしょー!