銭湯の波打ち際
先日、軽めの転職オファーがあったので少し話を聞いてきた。
同世代の人たちがあつまる若いITベンチャーで、なかなか勢いのある感じだ。
1年経たずしてふたたび転職もどうだろうか、と思いつつも、今の会社のビジネスモデルを考えたとき、そして、今後のさまざまな変化に耐えることができる柔軟性を備えた組織であるかを考えてみると、杞憂というか心配ごとばかり浮かぶ。となりの芝生は青い。
どうしたもんじゃろのう、と先延ばししながら様子をうかがうことにする。
今朝、ランニングをした。
30分ほど軽く走り、喫茶店でホットドッグを頬張った。家へ戻る途中、近所の銭湯に寄った。
湯船に半身つかりながら、水面をぼーっと眺めていた。
ジャグジーのように強く噴射する泡が水を押し出し、湯船の外へあふれようとしていた。
きらきらと輝く波を見つめながら、小さい頃海に行ったことを思い出した。
海に行けば、砂浜を覆いつくそうとする波の動きをしばらく眺めていることが多かった。
ぐにゃぐにゃと前後する、あぶくのついた波の光を見るのが好きだった。
そんなものを見ることばかり夢中になっていた自分はどこに行ってしまったんだろうか。
そんな時間の過ごし方を、どこに置いていってしまったんだろうか。
もしイギリスから日本に戻っていなかったら、人工的な建造物の集合体から早々に抜け出して、天国みたいなビーチを備えつけにしたボロいテラスハウスでのんびり暮らしてたんだろうか。
"それ"が理想の暮らしだったんだろうか。堂々巡りのたらればを一生懸命追い続けてしまう。
自分がしたいことや、進む先についてここまでポンポンと変わっていくとは思わなかった。
マリオのゲームで出てくる落ちる足場を次々とかけ上がっていくように、危険を察知したらすぐに次の足場を目指していく......足場には金も国境も時間も所属も関係ない。
そんな考えで凝り固まってしまった気がする。
所属意識などそもそも強くなかった自分は、どこか1つのコミュニティに自分の居場所を見出し、ずっといることができたらどれだけ楽だろうか、幸福だろうか、と思うことがある。
しかし実際は、境界線を溶かし、自分と他人の関係をマーブルのように混じり合わせ変化していくことばかり。
流動、液体、不安定......目の前をそんなものたちで覆われて、固定されたひとつの軸を手に入れる必要性はあるのか。
先はあまりにも長くて深い。