ふくろくん

コンテンツマーケティング、音楽、立ち話、そして牛乳

音楽⇄インターネット

興味の移り変わりの果てに、どんなに揺り戻しがあっても帰ってくる場所がある。それは思春期に寝食忘れるほど貪ったなにかなのかな、と思う。

 

また、いつもの楽しみが再燃してきた。ここしばらく、半年くらいだろうか、音楽、これを実行することへのモチベーションがやや下がり気味だったのだけど、また貪りたくなっている。

無駄な投資も含みつつもとりあえず新しいことを試す。お金と体を動かして聴いてみる、弾いてみる、作ってみる。

ミックスや曲の構成にについて考え出すと音楽をインターネットで探して聴く、使えるプラグインソフトウェアを探しにオールドスクールなノリで検索をひたすら繰り返しネットの海を旅する、風呂ではライブ動画を観る、音作りを考えるためにインタビュー記事を読み、使われている楽器を探し当てるためにいくつものネットフォーラムの中をまたオールドスクールに巡る、興味を持ったものはひたすらに買う、など挙げていけばキリがない。端的に言えばこれは聴きたい欲→作りたい欲への転換、きっかけづくりなのかもしれない。

今思えば、これらが自分にとって健全かつ永続的なインターネットの消費だった。

商用としてプロフェッショナルが産み落とした作品から放たれる感覚にたどり着こうとする少年の知的探求心が、自分だけの世界を作り出していく。すさまじい芸術品を咀嚼して、インターネットを巡りながら小さな感動を集めていく、ふたたびきっかけとなった芸術品に戻り、エッセンスを展開させた自身の芸術を作り上げようとする。
インターネットは、音に与えられた衝動を細かく分解し、まるで進路のアドバイスを真摯に送る教師のように自分の道を歩むまでの媒介をしてくれた。

働きはじめてから、生き残るための術としてインターネット上のニュースや情報を多く貪って来たけど、自分が得るものとしては人々の虚しさが多くを占めていた。それはあまりにも剥き出しで、受け止めるだけでもせいいっぱいだった。酷い事実ばかりで、どう美しいものへと転換するかは教えてくれなかった。

音楽は、転換の方法を巡るインターネットへの旅を与えてくれるスタート地点で、旅を終えたら自分はインターネットを介して音楽に帰ってくる。つらいことを忘れさせる作品づくりに向かわせてくれる。

 

寝食を忘れるほどに貪った、10年以上前に発売された音楽たちを抱えて、いくら出遅れようとも、いくら未熟であり続けようとも、酷い事実を忘れさせるほどの美しいものが作れるか、そこに至るまでは、自分は音楽に帰り続けていく……そんな気がしている。