オフトゥン・ウドゥン問題
このまえTLに流れてきたつぶやきを見て非常に感心をいたしまして。
昔からの友人から、ラカンの「ララング」という概念を聞いた。ララングとは端的に言えば、伝えることを放棄した、まさに発すること自体が快楽である言語活動。言語芸術がもっとララング的になれば、もっと言語が生き生きとしてくるのに。もっと瑞々しくなるのに。
— Yuka Yoshida (@yoshida_orfeu) 2016年3月23日
自分のつぶやきってララングなもの多いなあと思って。
それこそ会話、伝達コミュニケーションの最中にも「語感が良いから」というだけで、意味もなくそれっぽい単語を入れ込んでしまったり。
コミュニケーションの放棄。
この前、全然ネットをしない人に対して「オフトゥン」という言葉を使ってしまって、由来を説明した。それ以来その人の口から「オフトゥン」が頻発することになり、激しく後悔をしている。公共の場におけるララングは辱めの温床になる。昇華せよ。
「ウドゥン」も「オウドゥン」にすべきか迷う時がある。
そして讃岐か稲庭か、はたまた富士そばか。
好みが別れるところだが、最近のマイブームは小諸そばの香味ゆず胡椒のざる大盛りであるのだ。