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ふくろくん

コンテンツマーケティング、音楽、立ち話、そして牛乳

【続:桜が咲く前に】地元から出ること、生まれ育ってはいない場所で暮らすこと

https://instagram.com/p/2P69mXwDnF/

 

前回の感想エントリが、恋愛一辺倒な話になってしまいました。

恋愛のみではなく、「自分が長年住んでいた場所から出ること」が大枠のテーマですから、そこも書いておけばよかった...

そんなことを考えていたら、自分の考えを整理したくなったので、備忘録がてら書きます。

 

育った場所を離れて

地元の宮城県仙台市(生まれは福島県)を出てから、ほんの数年で10年の月日が経つことになります。高校卒業と同時に日本を離れ、社会人になると同時に帰国し東京で暮らし始める、そんな人生を送ってきました。

10年ほど暮らした地元の仙台を離れることに全く抵抗はなく、むしろ自分と環境を変えることを強く望んでいた気がします。10年前の仙台は自分にとって、とても退屈でした。

退屈だと思い始めたきっかけの一つとして、中学校の時にオーストラリア人の先生に会えたことが大きいかもしれません。英語があれば外の世界の文化の中で、新しい人間として生きてゆける、そんな選択肢があることを、目の前にいた外国人である先生と交流するにつれ強く感じていたのでしょう。

その時の自分は、人と違うものを欲していて、それはきっと「日本から出れば得られる」と思い込んでいました。

 

https://instagram.com/p/2xmhLqQDtj/

 

生まれた場所に帰って

つい先日、生まれ故郷に約7~8年ぶりに帰郷しました。福島自体は別の機会があってよく行っていたのですが、自分が生まれた場所、幼少期に育った場所にはしばらく戻っていませんでした。

自分が生まれた病院や通っていた保育園を目の当たりにして色んな勘違いというか、記憶には誤りがたくさんあるなあとしみじみ。

 

久しぶりにふるさとに戻りましたが、あんまり変わっていなかったですね。家屋は相変わらずごちゃごちゃして汚くて、知らない植物があちらこちらに生えていて、犬はたくさんいて、自然がやりたい放題な場所でした。

「ああ、ここで育ったんだよな...」なんて思いながらも、思ったより感傷的にはなりませんでした。

https://instagram.com/p/2xmZ2_QDtd/

移動すること 

「自分が長年住んでいた場所から出る」って一体何なんでしょう。移動自体に意味を求めてもしょうがないのですが、「移動」は自分の中で大きなテーマなのです。ちょっと前の自分はこんな風に考えていました。

ふと何かを「置き去り」にしている感覚が無いとは言い切れませんし、「移動」ほど失ったものを自覚させてくれるものもありません。

東京で走り続けたから、今立ち返る - 流線を描く煙

物理的な移動は時間を消費します。時間と引き換えに、人は考え、経験します。それは精神的な成長にもつながっていき、人は年を取っていく。 新しいものを得て、古いものを残す/捨てていく作業とも言える「移動」って人にとって意外と根源的な活動ですよね。移動なしでは人は生きられない。

 

移動を短縮するメディア

マクルーハンという学者は、メディア=媒体、つまり”空間と時間を圧縮し、人体の機能の拡張を行うもの”という風に考えています。

馬や列車は人々にスピードを与え、人々が文章に綴った思いを携えた手紙は荷物として運ばれ、印刷器は文章の再現を高速で行い情報の拡散スピードを上げていく、ネットからはいわずもがな。

メディアはマッサージである: 影響の目録 (河出文庫)

メディアはマッサージである: 影響の目録 (河出文庫)

 

 

交通手段も複製機も、それどころか起きている時間を増やしてくれる「電灯」すら立派なメディアだとマクルーハンは言っていました。情報取得のための消費時間の効率化と増加・拡大を行うメディアが生み出す人々への影響は計り知れないですね。

それだけ情報を得る手段に溢れている時代に生きながらも、人々は物理的な移動を止めません。きっとメディアでも補足できない何かがあるんですよね。

 

ふくろはきのこ帝国の『桜が咲く前に』を聴いてから、ずっとそれについて考えています。

 

一体何故人々は移動するんだろう...?

 

 

『Gerry』

そこで思い出したのが、この映画。 

ジェリー デラックス版 [DVD]

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これが「時間の無駄ではなかろうか!」と言いたくなるほど、空っぽに感じられました。この作品はガス・ヴァン・サントが生と死について描いたもの。とある男性二人がウユニ塩湖のように綺麗なアメリカの砂漠(公園)を彷徨い続けるだけという恐ろしい内容。

何が恐ろしいかというとこの映画はほとんど「移動」しかしていないんです。セリフもアクションもサスペンスもほぼ全くなくて、ずっと長い間迷っている。

"It leads us to nowhere(それは私達をどこへも導かない)"なんて英語表現がありますが、まさに向かう先が"nowhere"で何もない場所なんです。それは”砂漠”かもしれないし、”死”を意味しているのかもしれない。 もしかしたら生きること(そして移動すること)自体が”nowhere”に向かってさまよい続ける意味のないことなのかもしれません。考え過ぎてもしかたのないこと。

 

リセットがもたらすファンタジー

また少し自分の昔話を。

高校受験の際、英語を専攻できる高校を選んでいて、その時から既に地元から出ようとしていました。だから親からすると、自分が高校卒業とともに海外へ行くと決めたことは、それほど驚くことではなかったはず。

外に出ればひたすらに自転車を漕いで、ギターをかき鳴らし太鼓をポコポコ叩いては田んぼで叫ぶ、そんな高校生活を送っていて、それなりには楽しんでいたものの、「自分はいずれ海外に行くのだから」と、10年先へ早く飛んで行きたいという気持ちで焦ってばかりだったと思います。

そしていざ海外へ出て行って、踏ん張って、でも戻ってきてしまった。

今思い返すと、イギリスに行ったのは、海外にいることで時間軸をずらし、憧れていたパラレルワールドのファンタジーに浸ることができたからかもしれない。パラレルワールドから全く違う自分というドッペルゲンガーを作り出し、元いた世界や人々をリセットするため、戻る覚悟の準備のために別の世界でチャージしていたという逃避行。 

残ろうと思えば残れましたが、イギリスには正直飽きていました。「だいぶ飽きたかなあどうしようかなあ」と考えているうちに3.11がやってきました。ここのあたりはまだ詳しく話せる感じじゃないのですが、日本に戻った1番の理由は震災です。ただ、戻る決断をしたのは自分。

実は自分が今東京にいるなんて本当に予想外です。

中学校の時なんて、アメリカでもなくアジアでもなくヨーロッパでもなくアフリカ大陸でもないどこかにある名前も知らない国で楽しい仲間と暮らしている、なんてざっくりとした夢物語を描いていた気がします。

結局は、無情なリセットを繰り返してしまっていますが。

 

自分で場所を選ぶ、それはコミュニティを選ぶことでもあるとは思うのですが、関係構築、維持ってとても難しい。

無礼を承知で正直に言うとそこまで人に興味が無かったのでしょう。SNSや物理的移動の欠点を利用して、移動の度に人間関係をリセットしていました。

元々、自分は他人からどうこう言われても気にしない性質ですが、おそらく人に対して心の底から感謝していないと思われがちなのです。そしてそれは的確な指摘だと思います。でなければリセットなんてしません。

そこが自分の弱点です。どんな友達でも恋人でも恩師でも、「その場での付き合い」に留めることでうまくいかなかったことを消し去る。新たに再出発するための自己防衛がやや過剰に働いている気がします。自分の人生を「新規フォルダ作成」で分裂させているのです。東京時代の自分、イギリス時代の自分、仙台での自分などなど・・・

各フォルダの最終更新日を見て、データ量が多い「人」のみに絞っていけば、自分の周りにいる人々、いてほしい人々って漏斗のような感じでどんどん洗練されていくのかもしれない・・・そんな虚しい考えが根底にあったが故の人間関係のリセットなのかもしれません。

東京で走り続けたから、今立ち返る - 流線を描く煙

 

https://instagram.com/p/2U7EWDwDlv/

  

住む場所を選ぶこと

実は地元に残り続ける人のことを、本当に幸運に恵まれていると思っています。少なくとも「今自分が一番いたい場所」をかなり早い段階で見つけることができている。

だから自分の家が今一番いたい場所になっている人って本当に羨ましい限り。
友達にも地元と今の生まれ育った家が好きっていう人がいて、その人は地元から出て生活をしたことはない。

これは本当にすごいことだと思う。

「自分が生まれた場所だから」と言っていたけど、自分は勝手にその友達のことを「生まれながらにして望んでいた場所」にいることができたすごい人間なのではと思っている。


今住んでいる街は大好きで永住したいけど、今の家は特に好きじゃないし、今住んでいる国も特別視していない。

永住したいと思えた場所って他には、フランス、ノルウェーのベルゲン、愛媛の松山ぐらいかな。純粋に綺麗で和やかだった印象。

でも人って確か長い間移動し続けてきた歴史があるよね。今って場所と時間は圧縮されたように、コミュニケーション、情報や物流とかが高速化したけど、やっぱりどうしても知的好奇心とか何かで自然とぶらぶらしちゃうんじゃないかな。


同期が働いてちょうど1年位で転職するときに、「渡り鳥だけにはなるなよ」って忠告してた人がいたけど、自分には何が悪いかわからなかった。軽はずみな移動は推奨はされないかもしれないけど、とても自然なことだと思っている。

多分自分は2、3年でぐるぐる色んなところ回って、体力的にきつくなったら、今まで行った中で大好きな場所を選んでそこに住み続けるんだろう。

自分が”ここにいたい”と思う場所 - 流線を描く煙

https://instagram.com/p/oXFrpDQDkw/

 

映画『リトルフォレスト』は「今自分が一番いたい場所」について考えさせられました。あんまりネタバレしたくないので詳細は伏せますが、あの映画は「田舎礼賛」なんかではないです。原作読んでないので偉そうなことは言えませんが...

東京消耗研究会の議論によく出てくるような「田舎暮らしが都会より良いのか悪いのか」の話ではなくて、「自分が避けてきたものと向き合うまでの葛藤と解決方法」を描いた作品だと思っています。  

解決方法のひとつに、「移動」があって、映画の最後に主人公が取った決断が、自分の中では励みになっています。自分のように住む場所に悩み続ける人は早々いないかもしれませんが、「自分が今、これから先どこにいるべきか」について考えている方はぜひ観ていただきたい映画。

リトル・フォレスト 冬・春 [DVD]

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リトル・フォレスト 夏・秋 [DVD]

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自分は、家族と向き合えないがために、外の場所に出て行って、戻ってきて、でもまた違う場所で暮らしています。今いる場所や人を好きになり、ずっと暮らしていたいかもしれない、そのために頑張ろうか、なんて思い始めても、後ろめたい気持ちからは逃げ出せません。

この気持ちが続く限り、今住んでいる街を愛していたとしても、別の場所に移り住んでいくという選択肢を消すことはできそうにないです。それが良いか悪いかを抜きにしたとしても、移動を続ける人生って刹那的な選択の連続であるとも思い、今は肯定的には考えられません。

余談ですが、昨今シンプルライフ・ミニマリスト志向の高まりがありますが、「3〜5年スパンの連続的な移住」とかはどうなんでしょう。話を広げすぎですね。失礼しました。

「自分が過ごす場所の範囲」を絞ってみて、「何故自分が今住んでいる街で暮らしているのか」を見つめ直した結果、「この街が好きだから、この街に生きたい」という言葉がふっと頭に浮かびました。

暮らしている街に生きたいと思った話 - 流線を描く煙

 

長いですけど、これ次回に続きますね。

『桜が咲く前に』から始まるシリーズ、次は家族についての話。 

https://instagram.com/p/2u8ll6QDjU/

 

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