スピーカーから見えたもの
中高生の頃、自分の部屋に大きなスピーカーを置いていました。父親の実家にあったものをわざわざ車で運んできたのです。
小さめの洗濯機ぐらいの大きさで、六畳もない狭い自室に2つのスピーカーをズン、ズンと無理やり敷き詰めていました。アンプも同じように持ってきて、ボロボロに錆びた端子とスピーカーを、これまたボロボロで埃まみれのケーブルで繋いでいました。
当時はベッドではなく、布団で寝るようにしていたので、だらだらと横たわりながら、スピーカーから小さな音量で流れる音楽をよく聴いていました。
父親の持っているポップアイドルやジャズのレコードだったり、自分が大事にしていたSONYのMDプレーヤー、DTMで作曲した自分の音楽、どんなものでもそのスピーカーで聴いていました。
朽ち果てて穴が開いたコーン紙に顔を覗き込むようにして、歌声に没頭してよく考えていたのは、「スピーカーの中に幽霊がいる」ということ。
それほどリアルに感じられて、リアルではないものがありました。
空洞の中に人がいるような、箱に魂が宿っているかのような…その70年代物のスピーカーにはきっと何かが棲み着いていたと思います。
器楽の場合は、小人の楽隊が目の前で小さな演奏会をしてくれているようなイメージを持っていました。
あの頃見えていたものは、音と楽器がホログラムのように浮き上がって、アニメーションを繰り広げている、まさに「映像」でした。
当時聴いていたドビュッシーの「映像」という曲のタイトルにとっても惹かれて、「海」という作品を聴いてからは、彼のオーケストラとピアノ曲はほぼ全て青い(もしくは虹色)の波のようなものが目の前に浮かぶようになりました。
今は頭の中で、音の配置を気にしてばかりです。ヘッドホンは自分の中に音が入ってくるので音が見えにくいです。音を探す必要があります。
イヤホンも音が入ってきますが、ヘッドホンよりも音探しは難しくなります。
思い返してみると、3歳くらいの頃は、ギターのサウンドホールから鳴る音にも霊的なものを感じていて、最も恐れていた楽器でした。とにかく暗い穴が怖かったようです。
その頃は自分が大きくなってギターを始めるなんて思わなかっただろうな…
自分が幼かったからなのか、本当に霊が宿っていたからなのか、原因はいまひとつ掴めないですが、スタジオの大きなスピーカーではもう同じ感覚はしなくなりました。
音が頭の中で鳴ることに慣れすぎてしまったのかもしれないです。音の分解は楽になったのですが。
実家にあったスピーカーみたいに、目の前に世界が広がることはもうないのかな、と思いました。一度でいいから、死ぬ前にもう一度体験したい。